ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven)は「運命(交響曲第5番 ハ短調 作品67)」「エリーゼのために(バカデル第25番イ短調 WoO59)」など数々の名曲を生み出した作曲家兼ピアニストです。音楽史でも代表的な人物で、日本人でもベートーヴェンを知らない人は少ないでしょう。そのベートーヴェンはドイツのノルトライン=ヴェストファーレン州にあるボンという都市出身で、ボンで幼少期に宮廷音楽家として演奏を行ったり、同じくノルトライン=ヴェストファーレン州にあるケルンの演奏会でデビューを果たりとドイツに所縁がある人物でした。今回はそんなベートーヴェンの代表曲の一つである「歓喜の歌(An die Freude)」について紹介します。
〇当時の情勢
ベートーヴェンは歓喜の歌を第9交響曲として1824年に完成させました。
その当時は「ベルリンの壁」が建てられていました。ベルリンの壁は第二次世界大戦後に分裂した東ドイツと西ドイツ間における人口流出を防ぐために作られたコンクリートの壁で、ドイツの東西冷戦の象徴とも呼べる壁でした。
そのベルリンの壁は1989年に東ドイツ政府が旅行と国外移住に対する大幅な規制緩和をするための政令を発表した日の夜、国境検問所が開設され、撤去へと至りました。
同時期にドイツの隣のチェコスロバキアではチェコスロバキア共産党によって民主化革命であるビロード革命(sametová revoluce)が行われました。このようなドイツやチェコスロバキアなどがある東ヨーロッパでは主要な生産手段を社会化しようという「共産主義」を変えていこうとする「東欧革命」が行われていました。
歓喜の歌はベルリンの壁崩壊と同じ年にチェコのプラハで行われた演奏会で東欧革命のテーマ曲として演奏されました。